社会福祉法人浦河べてるの家

皆様へ-退任のご挨拶

 

皆さん、こんにちは

私は8月一杯をもちまして20年務めさせていただいた社会福祉法人浦河ベてるの家理事長の職を退任することになりました。

長い間、多くの皆さんに支えれれてここまで続けることができました。これからも、べてるは当事者としての経験を活かしながら、「べてる魂-転んでもただでも起きる」を大切に、地域の人に愛され、必要とされるベてるとして活動を続けることになりますので、今まで以上にご支援、ご協力をお願いいたします。

本当にありがとうございました。


佐々木 實

 

佐々木實さん、長い間、本当にご苦労様でした。そして、ありがとうございました。

 

いつも、浦河べてるの家の活動を応援いただきありがとうございます。

1978年4月に、7年に及ぶ入院生活を経て退院され、働きながら当事者活動(回復者クラブどんぐりの会)に参加し、会社の設立(1993年)、社会福祉法人(2002年)の設立に関わり、現在まで社会福祉法人理事長としてべてるの事業を支えて来られた佐々木實さんが、この8月で退任されました。

佐々木さんは、今年で80歳で傘寿(さんじゅ)を迎えられます。本当にありがとうございました。そして、ご苦労様でした。

いま、べてるはコロナ禍にあって、今までにない大変厳しい状況に置かれています。この20年、週末には昆布と本を抱えて講演と対面販売のために全国を飛び回り、そこで出会った方々が、浦河を訪れ、宿泊して研修に参加し、学会や研究会も積極的に受け入れて交流人口(年間、1500人から2000人)を増やし地域に還元するという事業モデルが崩壊し、すべてが止まってしまいました。
そして、長期化するコロナ禍は、現場に深刻な“コロナ疲れ”を起こし当事者スタッフを中心に体調を崩す人が相次ぎ、メンバーにも“爆発”が頻発して、現場をさらに疲弊させました。

この難局を乗り越えるために、佐々木さんの後継者について、スタッフ、メンバー、理事会でも時間をかけていろいろと話し合いをしました。特にべてるが大切にしてきた「当事者性」についても、話し合いをしました。そこで、確認したのが「当事者とは、カルテを持っているかどうかではなく、大切なのは“自分の苦労の当事者になる”ということ」であり、次の社会福祉法人の理事長も、特にコロナ禍にあって厳しい経営環境にあって、“健常者”と言われている人たちの“見えざる当事者化”にも向き合う人が望ましいということになりました。
そこで、理事会としても一時は固辞されましたが長年、佐々木理事長と共に苦楽を共にして来られた向谷地生良理事を次期理事長、さらには早坂潔を副理事長として選任することになりましたので、ここに報告いたします。

私たちは、今まで以上に「自分の苦労を地域の苦労に、地域の苦労を自分の苦労に」の理念を大切に、この難局を大事な経験、「研究テーマ」と受け止め、みんなで当事者研究を続けたいと思いますので、宜しくお願い致します。

浦河べてるの家代表
NPO法人セルフサポートセンター浦河理事長  早坂 潔

回復者クラブどんぐりの会会長  荻野 仁

 

就任の挨拶

いつも、浦河べてるの家の取り組みにご理解とご支援をいただきありがとうございます。浦河べてるの家の早坂潔代表のご挨拶にもありましたように、長い間、私たちの事業を物心両面で支えて来られた理事長佐々木實さんが、健康上の理由から8月一杯で退任され、新たに理事長の重責を担うことになりました。


特に、先の報告にもありましたように、「当事者性」について、いろいろと話し合いを重ね、「残念ながらカルテは無いが、誰よりも当事者性が突出している」というお墨付きを理事の川村敏明先生からもいただき、コロナ禍という難局を乗り切るためのリリーフとして重責を果たすことになりました。
これからは、同じく選出された早坂潔副理事長と共に、佐々木實さんが大切にされてきた“転んでもタダでも起きる”「べてる魂」を受け継いでいきたいと思います。

べてるは、設立以来、「地域の苦労を自分の苦労に」を合言葉に事業に取り組んできましたが、コロナ禍にあって、これまで以上に地域のみならず世界を視野に入れた「人の苦労密着型」の暮らしの安心を創出する事業の展開をめざして参りたいと思いますので、宜しくお願い致します。

 

社会福祉法人浦河べてるの家
理事長 向谷地 生良

副理事長 早坂 潔

職員 一同